創造性と引き換えに
端的に言えば、外国語ができるから。
英語のモノは英語でそのまま受け取って返してしまう。ドイツ語も同じ。そして、それは正しい。
日本語にする必要がないから、内面化していない。内面化のプロセスがないと、「外人」と変わらない。ただの「外人」なだけ。
内面化するときの葛藤と屈折と創造の喜びが全く無い。フランス語は「できないから」翻訳せざるを得ないので、少しは、「内面化」している。
逆説である。知能程度が高いと、返しがすぐにできてしまうから、創造性はいらない。理解しているのだから、理屈はいらない。日本語に翻訳する必要がないのだから翻訳しない。
たぶん、言語ができる人の特徴で、なんでわざわざ翻訳しなければならないのか、と意味がわからない。「外人」基準だから、それで通してしまう。
「外人基準」を身につけると、だから面白くない世界が待っている。内面化こそ創造の源泉であるから、それがないので、できない。
知能程度が高いと、創造性がなくなる、そういういいわけにはなる。わかっているし、返せるのだから、それ以上何が必要なのか。