哲学に対する疑問と回答

確かに、文章読解力のある理系の人にカント、ハイデガーを読ませれば、「自意識という名前の雑多なでたらめの印象がパテで塗り固められたモックアップ、いろんな元型からパーツを寄せ集めたプラモデル」という酷評になるであろう。

 

論理的に考えれば、確かにそうなる。まったく正しい読解だ。

 

反論ではないのだが、しかし「私はすでに超越している」というのが自意識の本質と定義すれば、やはりカント、ハイデッガーは一つの考え方としてアリなのではないか。

 

その自意識を解剖学的に観察するというアプローチが哲学なのだと思うし、一般性は何もないと思う。そして、自意識というのは、解剖され器官が明らかになり、白日のもとにさらされるが、自意識そのものには何も触れていない。生き物だからね、自意識は。

 

そっちの深みに入り込むとニーチェのアクロバティックな解釈だとか、アウグスティヌス読解だとか、沼に入り込む。それもいい趣味だとは思うけれど、そんなに人生、時間があるわけではない。

 

だから、僕の結論は、謎として自意識というのは残されている。謎のままでいいのだろう、という折衷案だ。デカルトも常識でほぼすべては片が付くと言っているし、常識を逸脱しない範囲で自意識があれば、さして問題は起きない。